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第56話 『ふたりの黒い医者』
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| ドクター・キリコ初登場、と長らく思い込んでいたエピソードがやってきました。実は2度目の登場でした。 何度もシリーズを読み返しているので、 「キリコもけっこういいヤツじゃん」 などと思ってしまいますが、本編で、死に近づきつつあるお母さんを見つめるキリコの目の輝きはやはり尋常ではない!。自分の手にかかって、一人の人間が死んで行くのをじっくりとながめる事に快感を感じているらしい。 「俺は人助けをやってるんだ。感謝されているんだ。」 と自己弁護しているが、キリコ、あんた本当は自分の快楽のためにやってるんじゃあないのかぁ?。 やっぱりあんたって男は、ぜってーやべーよ、キリコ!。 「生き物は死ぬときには自然に死ぬもんだ」 「人間だけが無理に生きさせようとする。どっちが正しいかねBJ」 とも言っているが、これもちょっと・・・。 BJは無理にでも生きさせようとする。でもキリコも「自然に死ぬ」のを待たず手を貸して「無理に死なせようと」しているにすぎない。 二人のベクトルがちがうだけで、自然の流れに介入していることでは同じ。二人はまさに鏡像だ。 生 ←←← 患者 →→→ 死 | | BJの キリコの ベクトル ベクトル しかし、BJの奇跡の腕前も、キリコの不屈の信念もなんらかえりみることなく、運命の、あるいは偶然の神は、親子もろともにその命を、きまぐれに無感動に奪い去った。 愕然とするBJ。BJの徒労をあざ笑うキリコ。 二人の意思・努力・理想とは無関係に世界は勝手に動いて行く。 二人が何をしようとも、死ぬものは死に、生きるものは生きる・・・。 諸行無常。祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 本作のテーマは「諸行無常」だ。そう決めた!。 そう考えると、今回の舞台が神社仏閣の多い京都なのもうなずけるような気がするな。 (00/06/24) (その後、Cさんのフォローを受けて) 勤務中に56話の事を考えていたところふいに、諸行無常、祇園精舎の鐘の声、を思いついてですね、祇園→京都、やった!、なぜ京都なのか分かった!、これで一本書けるぜぃ!。 と帰宅するやいなやパソコンを立ち上げ書き出した、のですが。 途中で「祇園精舎の祇園は、京都の祇園じゃなくて、インドかネパールかとにかく国外の仏教ゆかりの地じゃなかったか?」と気がつき、しりすぼみになりつつできたのがアレです。 (というか、仕事中は仕事しろよな>自分。) ところで、 (ラストのBJの有名な「それでも私は、人をなおすんだっ。自分が生きるために!!」の話題を受けて) 私正直言って、このセリフどうも腑に落ちず、前の感想文でも触れることができませんでした。 >「それでも私は、人をなおすんだっ」 これは分かる。BJのベクトルは常に生に向いている。 >「自分が生きるために!!」 これが良く分かりませんでした。 なぜ急にBJはこのシーンでこんなことを言うのか。 大見得を切り芝居がかりで。 たしかにBJは、金ずくで我欲のために大金を取る、ように格好をつけてますが、これまでシリーズを読んできた私は、むしろ他者を生かすために奮闘するBJの事を知っています。 それなのに、それと大きく反するようなことを、わざわざ宿敵のキリコに向かって、なぜ宣言するのか。 このセリフだけすごく違和感があって、浮いたセリフ、とってつけたセリフ、感動押し売りのセリフ(うわ)に見えてしかたありませんでした。 (Cさんの意見。BJは「ストラディバリウス」でのモロゾフ氏のセリフに教えられ、 「そうだ私は、自分が自分らしく生きるために、自分の価値を表すために、人を直しているんだ」 と改めて気づかされたんじゃないでしょうか?。を受けて) ・・・う〜むなるほど。そういう読み方ができますね〜。これはCさん参りました。 そうすると、BJのセリフに勝手に注釈を入れると、 「それでも私は、人をなおすんだっ」 「無駄でもなんでも人をなおすんだっ。 この手で人を生かして、自分も生きるんだっ。 文句あるか、このすっとこどっこい!」 うむ。これならわかる。手塚先生〜、これくらい過剰に説明してもらわないとわかんないですよ私には〜。 (00/06/25) |
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